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LastUpDate 2018/01/30

自由民権運動

問についての答、またはカッコに入る適切なものを選択肢から選べ。

征韓論政変の後の明治政府について正しいのはどれか。

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答:3
 征韓論政変によって西郷、板垣が政府を去った後、大久保利通が政府の中心となり新たに強い権限を持つ内務省を設置して内務卿となり権力をにぎった。

民撰議院設立建白書を政府に提出した中心人物はだれか。

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答:4
 政府を去った板垣退助や江藤新平などが1874年、国会開設を要求するため民撰議院設立建白書を政府に提出した。

西南戦争を起こした中心人物はだれか。

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答:4
 明治維新に不満をもつ「不平士族」たちが起こした反乱のうち最も大規模だったのが、1877年西郷隆盛を中心に起こされた西南戦争だった。

自由民権運動とは何か。

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答:2
 板垣らが提出した民撰議院設立建白書からはじまった自由民権運動は、西南戦争後は士族だけでなく豪農や商工業者も参加して発展する。開拓使官有物払い下げ事件で民権派が政府を攻撃すると、政府は国会開設の勅諭で10年後の国会開設を約束した。

設立の順番で、正しいのはどれか。

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答:3
 板垣退助は民撰議院設立建白書の提出後、土佐で立志社を結成、1875年には大阪で愛国社を結成して1880年、愛国社は国会期成同盟へと発展した。1881年に国会開設の勅諭が出されると国会開設に備えて自由党を結成した。

1882年、大隈重信が結成した政党はどれか。

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答:2
 大隈重信は自由民権運動に対し、国会の早期開設を主張したため伊藤博文らと対立して1881年政府を去り、1882年に立憲改進党を結成した。板垣の自由党がフランス的な過激な政党だったのに対し、大隈の立憲改進党はイギリス的なおだやかな政党だった。

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